一政党一ブログ

選挙の度、各政党のブログとかあればいいのに、と思います。こういうことを言うと、子供じみていると思われるかもしれません。しかし、日本の社会というのは建前の原理と本音の原理の二重構造であり、本音の原理の部分に解決すべき問題が起こっているのに、それを建前の原理で解決しようとするのでゆがみが起こっている*1とすれば、もう少し熟慮に値する問題を提示していると言えるでしょう。小泉内閣メールマガジンを持っていますが、あれは建前の部分であって、冒頭で「あればいいのに」と言ったのは、たとえば各政党がお互いのブログを引用しあって揉めるような、本音の部分です。

政治公約とか選挙制度というのが建前の原理であるとすれば、その政治家が公約を実行する力を持っているのか、どのような解釈で実行するのか、どのような意図で言っているのか、等を判断するのに必要なのが本音の部分であって、それは建前の原理の中からは見えてこないことです。そういう本音の原理が、建前の原理よりも優先される制度、というのは難しいのでしょうか。あるいは「制度」といってしまった時点で、建前の原理に取り込まれてしまうのでしょうか。

その難しさが、取り繕えない部分が出る→苦情が寄せられる→裁判になる、またはマスコミが騒ぎ立てる→誰かが責任を取らされる、という構造にあるのだとすると、その根底には、弱みを見せた人間を引きずりおろそうとする、人間の競争意識があるわけです。そうだとするとこの構造は変えられない。つまり、誰かを上に戴くことが、その人間への妬みやライバル意識を必然的にもたらすのだとすれば、代議士制度というのは、最初からひずみというか、緊張関係を孕んでいて、その緊張関係を前提にしたシステムであるわけです。そうであれば、我々が学校で習う「民主主義」という理念は少々理想化されていて、この緊張関係を含んでいないように思います。

*1:「日本人と教養」というタイトルの講演会で、阿部謹也先生がこのような主旨の主張をされていたと思います。