駒大苫小牧の不祥事について

夏休み中一生懸命応援した結果の優勝なので、こういう騒ぎが起こっているのは真相がどうあれ残念です。

しかしニュース記事を読んでいて気になるのが「事情はどうあれ暴力はいけない」「言葉で分からせることはできなかったのか」といった記述です。暴力、という言葉自体にネガティブな価値判断が込められているのは確かですが、暴力自体は手段であって、手段に善悪はないはずです。

暴力には暴力で立ち向かう、というのが、人間が本来あるべき姿だと思うのです。ただ、殴られたときに殴り返すためには、腹を据える訓練をしていなければならないことと、道理は我にあり、と確信できる揺るぎない価値観を持っていなければいけません。

戦後の日本人は、教育・社会の中でその両方を蔑ろにしてきたため、そのどちらも持ち合わせていない人間ばかりが出来上がり、「暴力はいかなる理由があっても悪だ」と自己肯定してきたのではないでしょうか。その結果、争い事を避けることばかり優先し、語るべき価値観もない若者ばかりで溢れかえる国になってしまったのではないでしょうか。