「考える」ということ

日常的には、「考える」ということが何を意味するのか、あまり考えずに「考える」という語を用いている。今、まさに用いた「考えずに」がその例である。
「〜について考える」という語が指し示す行為を内省すれば、少なくとも5つの過程に分けられるように思われる。「それに関わることを連想する」「その中に問題を見つけ出す」「解決策を思いつく」「解決策を検証する」「人に伝えるために文を作る」おそらく、この過程をすべて経た思考は成功し、そうでない場合は(大抵はそうであろうが)いずれかのステップが曖昧になり、あるいは到達できず、結論の出ない思考となるのである。
ここまで書いて、当初は「考える」という語の曖昧さを問題視していたのに、思考の成否、つまり思考が成功する条件は、といった問題を、しかも思考とは何かを定めずに考え始めていることに気付いた。しかもまた「考え始めて」という語を使っている…。
(携帯から、はてなダイアリーに書く実験を兼ねて送信)