髣髴(彷彿)

「〜を髣髴とさせる」という用法を見るたびに「〜を髣髴させる」の間違いだろう、と思っていたんですが、調べてみるとそうでもないらしい。ただ、用法は混乱しているというか、混乱している段階を過ぎて用法が変化しはじめているような感じです。

Microsoft Bookshelf 3.0では、

(副)
―たる ―と 〔全く同じものと言ってよいほど、よく似ている意〕

1 ―する 昔見た物がそこに現われたように見えることを表わす。
用例・作例
父のおもかげが―とする
故人に―たるものがある〔=よく似ている〕
昔日を―させる〔=思い浮かばせる〕
在天の霊―として〔=いますがごとく〕来(キタ)り享(ウ)けよ

2 有るか無きかに、遠くにかすかに見える形容。
用例・作例
水天―たる所

表記
「彷彿」とも書く。

となっており、品詞は副詞。「−たる」「−と」と書いていることから、「朦朧」「燦然」「馥郁(ふくいく:美味しんぼ用語ですね)」と同様、「ーたる」が付けば名詞に係り、「ーと」が付けば動詞に係るタイプの品詞なのだと思われます。

そうしてみると、「父のおもかげが髣髴とする」「故人に髣髴たるものがある」が元々の用法で、「〜が髣髴とする」に対応する受動文が「〜を髣髴とさせる」ということで、いいんでしょうか。(例:「頭が朦朧とする」「頭を朦朧とさせる」)

しかし、そうだとすると「昔日を髣髴させる」の用法はどこから来たんでしょうか。思うに、副詞には「ーたる」「ーと」タイプの他に、「ーと」が付けば動詞に係り、「ーする」が付けば動詞になるような、「ゆっくり」や、ほとんどの擬態語(ギラギラ、等)のタイプがあるわけで、そのタイプの影響で「ゆっくりとする」「ゆっくりする」のように「髣髴とする」「髣髴する」という用法が派生したとか。

ともあれ、この件はもうちょっと調べないと何とも言えません。以下のサイトも参考になりました。

http://www.venus.dti.ne.jp/~riichi/waste/wastL2/wastL2-3.htm