NOAH東京ドーム大会「DESTINY 2005」

深夜二時から五時まで、という狂った時間帯のテレビ放映でしたが、あまりに血のたぎる名勝負の連続に、当然のように五時まで観戦。小橋健太vs.佐々木健介は、レベルの高いNOAHの試合の中でも特に素晴らしかった。はやくも二〇〇五年のベストバウト間違いなしか、というところです。個人的に応援していた鈴木みのる・丸藤組もGHCタッグ王座を防衛して良かったです。途中実況が、対戦相手の橋選手が「最近お父さんを亡くして云々」とか言いだして、これはまずい流れだ!と思ってハラハラしました。

ところで、プロレスと総合格闘技は、両方観るべきものだと思っています。「プロレスは勝負って言っても、勝敗は予め決まっているんだよね」とかいうのは、「ジャズは即興って言っても、やる曲は予め決まっているんだよね」とかいうのが意味不明なのと同じで、観ない理由にはなってないと思います。逆に、「勝敗を知るために総合格闘技を観ているのか?」と聞いてみたいところ。

プロレスも総合格闘技も、技の応酬、戦う心を観ているのは共通していて、ただ両者は流れが違うため(総合格闘技では相手の技を「受けない」ことが許される等)、出る技も違ってくるわけですが、そのどちらの流れが「現実的」なのかは一概には言えないのではないでしょうか。目潰し、金的、肘がアリなら現在の総合格闘技の戦い方は使えないし、相手が多人数で武器を持っていたら、寝技で戦うのは非現実的、ということは前から言われていますが、つまり総合格闘技も、戦いの状況をある程度限定して想定しているのです。

そういう意味で言えば、「男同士のケンカ」という状況で、片足タックルからパウンドにいくような奴が人望を得られるのか、というのは疑問です。むしろ「張り手合戦」とか「チョップの打ち合い」の方が男らしく、現実的な流れなのではないでしょうか。

したがってプロレスは総合格闘技とは違う意味で「こう戦え!」ということを教えてくれているような気がします。