相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学:アミール・D・アクゼル著




我々、宇宙物理学の素人が漠然と共有している宇宙像は、宇宙がビッグバンで始まり、膨張を続け、いずれ重力に耐えきれなくなったところで収縮に向かい、一点にまで収縮すると(あるいはその手前で)不思議な力が働いて再びビッグバンが起こる、という、ニーチェ永劫回帰的とも言えるものだ。それゆえに、この本が以下の、一九九八年の知見を紹介するとき、ある種の宗教的不安と学問的座りの悪さを覚えざるを得ない。

遠くの超新星は、もっと近くの銀河の後退速度よりも遅い。したがって、得られる結論はただ一つ−彼は結論づけた−宇宙は膨張を加速している。
(中略)
たとえ大陽が五〇億年かそこら先に死んでも、遠い遠い未来のある日に宇宙は再び崩壊をはじめ、たぶん−ビッグバン=誕生とビッグクランチ=崩壊のサイクルを完全になしおえたあとで−新しいビッグバンを再爆発させ、もう一つの地球を創造し、生命を再生するだろうという考えには、哲学的にはどこか慰めになるものがある。
(中略)
だが、億兆年ののちも膨張がつづき、最終的に空間の密度が減少するならば、宇宙は中性子星ブラックホールばかりの、星の墓場になるだろう。

この問題に直接取り組めるだけの物理学的訓練をしてこなかったことを残念に感じるが、言語や概念の面からも再考すべきことは多いように思う。物理学者が「時間」とか「物質」といったときに、意識的に若しくは無意識的に、どういう意味で言っているのか、ということである。