岐路に立つ、ということ

ka-lei-do-scope2004-06-26

2003/3/30「K-1ワールドGP2003inさいたま」をもう一度観る。サップがミルコの左ストレートで、眼底骨折KOされた試合だ。このときのサップは、前年のGPでアーネスト・ホーストを血祭りに上げた記憶がまだ鮮明だ。ミルコは緊張していて、入場からゴングまで、表情に余裕がない。これは彼にとって「罰ゲーム」のようなものだった。プロレスラーに勝ち続けた罰ゲームだ。ちょうど、LEGENDに出場(菊田早苗戦)したノゲイラが、サップ戦を組まれたときに「罰ゲーム」と言われたように、そのころボブ・サップはトップ・ファイター達に対する罰ゲームとして、まだ機能していた。
思うにこのときのミルコは「潰される」というプレッシャーと必死に戦っていた。潰されるというのは、物理的にも、キャリア的にもだ。彼にとって、この試合は「岐路に立つ」ものだったと言える。
いまこの試合を見直して、心打たれるのは、それは時間にしてほんの数十秒の間にすぎないのだが、岐路に立った、追いつめられたミルコの、プレッシャーとの戦いにである。彼は淀みなく動き、自分の作戦(目を狙う)を貫く。その、淀みなく動く、という事実に、秒単位での、精神的な勝利が現れているのだ。そうして、人生の岐路において勝利したミルコは、年末にノゲイラに破れるまで格闘技界の中心に君臨し、一方の敗れたサップは歯車が狂い始めたのである。
それから約一年後の2004/4/25、PRIDE GP 2004開幕戦において、ミルコはケビン・ランデルマンに敗れた。ランデルマンはこのとき、岐路に立たされていた。前年の試合で桜庭に敗れた彼は、ここで負ければフェードアウトしていく運命だった。しかし、彼は「ミルコのミドルキックで肋骨を折られるのではないかという恐怖(試合後のインタビューより)」にうち勝って見事勝利し、一躍ヘビー級のトップ戦線に躍り出た。
今、この二つの戦いを俯瞰して、格闘技に限らず、人生において「岐路に立つ」状況で勝利することの重要さと、敗北することの残酷さを学ばざるを得ない。同時に、そこで勝利するためにどんな能力と、どんな準備が必要なのかを真剣に考えなければならない。