スパイダーマン2

スパイダーマン1が大秀作であるのと、全く同レベルにおいて大秀作。「2は大抵つまらない」というジンクスを、この作品がどうやって打破したのかを少し考えてみたい。

もし「スパイダーマンの映画化」を依頼されたら、どうするだろうか?スパイダーマンを「アメコミもの」として受け止めると、「バットマン」シリーズとの差別化をどうするか。これまでハリウッドではありとあらゆるアクションがやり尽くされている。ではスパイダーマンにしかないものは何か、それは「振り子運動」だ。ニューヨークの高層ビルの間を「飛ぶ」視点は今までにもあったが、振り子運動の連続で移動する視点は誰もやっていないし、カメラ視点をその回りで回転させれば相当エキサイティングな映像が得られ、ユニバーサルスタジオのアトラクションでも使えそうだ。さらに、振り子運動では真ん中で速度が最大になり、両端ではゼロになる。このメリハリを演出に生かそう。

と、ここまで書いて、何だか思考プロセスがスレているという感じがする。こういう映画を最後まで面白く仕上げるには、もっと思考プロセス自体が盛り上がっていなければならない。いままで参加したプロジェクトの経験で言えば、失敗するプロジェクトの特徴は、メンバー間にレベル差があって、出てきた面白い発想の芽が、レベルの低いメンバーに理解されないということだ。良いアイディアというのは、出てきた瞬間、メンバー全員に共有され、熱が上がらなければならない。さもなくば、死んでしまうものだ。あるいは、全員が共有できなくても、共有できなかったメンバーは一段階下にある自分の立場を自覚し、そのアイディアに期待し、理解したいと願うようでなければならない。したがって、レベル差のあるメンバーが対等の待遇の元にある場合に、プロジェクトは失敗しやすい。

その観点で言うならば、先の「振り子運動」を中心にした話振りは、自分の中で面白いシーンが出来てしまった作家が、その面白さを「スパイダーマンってこう(手振り)動けるのがポイントだよね」と言っただけでは理解してくれないプロデューサーやエンジニアに囲まれている環境で、彼らを筋道だてて説得しようとしている口調だ。この映画のスタッフは、誰かが「こう(手振り)Iとやった瞬間、同じ映像を思い浮かべたに違いないのだ。良い作品を作る条件は、この瞬間に生じる熱を共有できるスタッフを集めることに他ならないと思う。そういうスタッフを集められれば、プロジェクトは半分成功したも同然だ。

以下はどうでもいいコメント。

  • のび太メガネが良い。
  • エレベータの中の件や、スパイダーマンをやめた次の日の明るい音楽とスローモーションは、すでにコントの演出だよなあ。
  • 博士も、触手をあんなデザインにした時点で、悪役になるのは見え見えだよねえ。
  • しかも「このチップで制御しているから操られることはない」というチップが、あんな危うい位置に付いているのは笑った。この映画はそういうお約束ぶりが、良い方向に作用していると思う。その分かれ目は、お約束が観客の望んでいる方向を向いているかどうかだと思う。プロレスにも同じことが言えそうだ。
  • ビルの壁での戦い、列車の上での戦い、はスパイダーマンならではの展開やアイディアが見られて良かった。しかし、最後の「暴走する核融合炉」の前での戦いは、ありふれたアイディアの寄せ集めに終始したのではないか。暴走する悪の機械、ヒロインが人質、戦いの途中でヒロインがピンチ、早く敵を倒さないとヒロインが危ない、危機一髪のところで救出、愛、敵が良心に目覚める、敵自爆。「これも良い意味でお約束なんだ」という反論はちょっと違っていて、それはやはり、心の中で「もっと面白くできるだろう」という声が聞こえるからか。

おそらくこのシーンのポイントは「核融合炉が重力を持っていて、何もかもがそちらに引き込まれる」点(=普通と違う上下感覚)かと推察するのだけど、その要素を生かすアイディアを十分出せなかったのではないだろうか。

あと、「あの太陽みたいなの」はもうちょっと科学の知見を織り込んで、知的好奇心を刺激して欲しかった。核融合ってあんなんじゃないだろうんきっと、とか観る方に思わせないようにしてほしい。ニューヨークを吹っ飛ばすほどのエネルギーなのに、川に突っ込めばそれで終わり、というのはどうにも説得力がなく残念。

最後に、関係ないけどMJはバルダーズ・ゲート・シリーズのヒロイン「イモエン」に似ている。というか、「1」のイモエンとほぼ同じ顔だ。「2」ではなぜか顔が変わるんだけど、「2」の方が時系列的に後なのに、「1」の方が老け顔だという不条理。その老け顔の方に似ている、というか同じ顔な訳です。