音楽と意図―ヒットチャート考現学!:ターザン山本!


ターザンカフェターザン山本!氏による対談形式のヒットチャートレビュー。「基本的に音楽にはまったく興味ナシ、ここで紹介しているアーティストについての予備知識もナシ」というターザン氏の自宅に、編集の石井氏が弁当とCD持参で押し掛け、その場でCDを聴いたターザン氏が「直観と速攻」で十数分語る、というスタイルでありながら、「2000年代の空気とは一体何であるか?」という難題に、リアルタイムで適切なキーワードを繰り出す問題作。まるで「道場破り破り」のようなシュート感に溢れ、「果たして自分は同じスピードで勝負できるだろうか」と考えさせられます。たとえば、

【花鳥風月:ケツメイシ】なかでも一番許せないのは「花鳥風月」だよ。あのさ、オレたちは今、資本主義が発達した現代の都会に暮らしているわけなんだよ。そこに花鳥風月なんてものが、存在するわけがないじゃないか!つまりこれは、はるか昔に輝いていた言葉。でも現代では、なんの光もない陳腐極まりない言葉になっちゃってるんだよ。(中略)それをさ、なんのチェック機能もなしに使ってしまうという無神経さ。言葉に対する神経が麻痺しているというか、ノータリンそのものだよ!!!

以前、ここで「言語に対するセンスの欠落」と批判したときに感じたのと同じ違和感だと思うのですが、彼は関節一つ分くらい(八極拳の暗打のように)踏み込んで語っているように思います。 しかも、これだけ酷評しているケツメイシを、別の作品では(同じアーティストと知らずに)絶賛していたりという偏見のなさが潔い。

世界に一つだけの花SMAP】でも、一番でなくてもオンリーワン、ってのはなんだ!!オンリーワンってのは、すなわち一番のことなんですよ。花屋の花が咲くまでに、種としてのサバイバルの歴史がどれだけあったことか!!戦争あってこそのオンリーワンだってことを、わかってない。

槇原氏はセロトニンノルアドレナリンが不足しているせいで「努力できず、また負けても悔しいと思わず」という脳なのでは、と疑っているのですが、それがまた広く支持されてしまったというのは、やっぱり環境ホルモンの影響で日本中が女性化しているのでしょう。しかし、環境ホルモンの影響で「一番になれなくてもいい」とか思ってしまうのを正当化して歌にしたりせず、問題として受け止める真っ当さが、今の日本に必要な空気かも。

引用させてもらった二編は、どちらかというと「作家論」的な内容ですが、本書において更に興味深いのは「時代論」的な洞察なのです。それについてはまた後日。