魂、意志、矛盾(草稿)

魂とは何であるか、と問われるならば、一つの側面としては、「意志」であろうと思う。少々ドライに「情報量」と言っても良い。それは例えば「自分は絶対に頑張る」といった決意で、生き方を縛っている、ということだ。そういう「意志」は、当人の死後も、生きていたときと同じように人々に影響を与え続け、後生の人々を介して何かを生み出し続ける。

しかし、頑張ったり頑張らなかったりした場合、それは頑張るか頑張らないか、という問題に対して情報量がなく、「意志」とは言えない。したがってその魂は、その問題については死後何も残さず、忘れられることになる。

そうであるとするならば、頑張ったり頑張らなかったりする自分を、常に頑張る(あるいは逆に、決して頑張らない)自分に変えていく、ということは、自分の魂を、できるだけ(できれば永遠に)生き残るような魂に変えていく、ということに他ならない。これを「魂を磨く」と表現するならば、魂を磨く、ということは、言語もしくは芸術という手段を手に入れた人類が新たに獲得した生存本能である。

しかし、意識せずに価値観が相反する行為を取ってしまっている場合も少なくない。したがって「魂を磨く」上では、自分の価値観の実践という行動的要素に加えて、価値観から矛盾を取り除く、という思考的要素が不可欠なのである。これが、第一哲学としての論理学の、これまであまり顧みられなかった重要性であろうと考える。