http://blog.picsy.org/archives/000203.html
「戦慄系宣言」という面白い言葉に出会いました。最近周りに言っていることですが、博士号取得の必要条件は、「戦慄系」と出会った経験であると言っても良いと思います(勿論、十分条件ではないですが)。良い機会なので、自分のこれまでの戦慄経験をまとめてみようと思いました。まるで「戦慄バトン」が来たかのような気分です。
中学生時代の戦慄
指数関数の定義域を整数→有理数→実数と広げていく際に、加法・乗法の法則の連続性が守られていることに、中学生ながら戦慄した覚えがあります。
高校時代の戦慄
ニュートン力学は、地上の法則と、天体の法則を統一したところに戦慄があるわけですが、それ以上に「微分・積分」という算術との対応の美しさに、高校生ながら戦慄した覚えがあります。
大学(専門課程)の戦慄
オートマトンと正規文法の等価性、…、チューリング・マシンと句構造文法の等価性、という概念。機械と文法が等価だなんて、何だか右辺と左辺の型が合わない気がして戦慄でした。NP完全問題の還元とかも戦慄。
その後、大学院から今の仕事にかけて、戦慄系との出会いは加速度的に増えてきているような気がします。最近の戦慄系は、圏論における、直観主義論理とトポスの等価性です。
戦慄系はどうも理系的な学問に多いようですが、文系的学問で出会った数少ない戦慄系が、阿部謹也先生の「ハーメルンの笛吹き男」(ちくま文庫)です。これについてはいずれレビューを書きたいと思っています。