戦慄系

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戦慄系宣言」という面白い言葉に出会いました。最近周りに言っていることですが、博士号取得の必要条件は、「戦慄系」と出会った経験であると言っても良いと思います(勿論、十分条件ではないですが)。良い機会なので、自分のこれまでの戦慄経験をまとめてみようと思いました。まるで「戦慄バトン」が来たかのような気分です。

中学生時代の戦慄

指数関数の定義域を整数→有理数→実数と広げていく際に、加法・乗法の法則の連続性が守られていることに、中学生ながら戦慄した覚えがあります。

高校時代の戦慄

ニュートン力学は、地上の法則と、天体の法則を統一したところに戦慄があるわけですが、それ以上に「微分積分」という算術との対応の美しさに、高校生ながら戦慄した覚えがあります。

大学(教養課程)の戦慄

清水義夫先生の論理学の授業で、ヒルベルト・プログラム及びゲーデルの第一・第二不完全性定理を知りました。これは有名な戦慄系ですが、今考えるとヘンキン→リンデンバウム→ゲーデルの完全性定理の方が戦慄度は高かったかも(完全性定理の理解が、ヒルベルト形式主義の理解につながるという点において)。

大学(専門課程)の戦慄

オートマトンと正規文法の等価性、…、チューリング・マシンと句構造文法の等価性、という概念。機械と文法が等価だなんて、何だか右辺と左辺の型が合わない気がして戦慄でした。NP完全問題の還元とかも戦慄。

その後、大学院から今の仕事にかけて、戦慄系との出会いは加速度的に増えてきているような気がします。最近の戦慄系は、圏論における、直観主義論理とトポスの等価性です。

戦慄系はどうも理系的な学問に多いようですが、文系的学問で出会った数少ない戦慄系が、阿部謹也先生の「ハーメルンの笛吹き男」(ちくま文庫)です。これについてはいずれレビューを書きたいと思っています。