正しいものに向かう

正しいものに向かっていけない人、というのは、正しいものを表す言葉で思い浮かべるイメージの質が低いのだと思う。

たとえば「健康」という言葉で、「健康に良いという触れ込みの不味い食べ物」「健康に気を遣っている事を自慢したり説教したりする嫌味な人」「そういうことについて、言うことを聞く、というのがそもそもダサイ」といったイメージしか持っていない人は、「健康」という言葉について包括的な経験をしていないと言える。しかし、そのことに自分ではなかなか気づけないので、結果的に健康には向かっていけないのだ。

「科学」や「宗教」といった言葉にも同じ事が言える。

不思議の国のアリスに「人参なんて好きになりたくないわ。だって好きになったら、毎日人参を食べなきゃいけないでしょう。そんなのいやですもの!」というような台詞があった。人はこれを笑うが、自分にとっての人参の話題となると、アリスとのアナロジーで考えることができないものだ。