数学は克己である

数学の本質は「克己」であると考えています。自分のものの見方、考え方を根本から塗り替える経験を与えてくれるもの、ということです。

たとえば分からない数式があったときに、分からない自分の方を正当化して数式の方を卑下するか(こんなものは分からなくても生きていく上で困らない、机上の学問より行動が大事、等々)、それとも自分の認識スキーマを一度破壊して、その数式を取り込んだ新しい自分になっていくのか。

この二択は、数学に留まらず、人生の色々な局面を左右する二択だと思います。「数学って何の役に立つの?」という質問への答えは、そのような二択において後者を選ぶ習慣を付ける、ということではないかと思うのです。