「風の歌を聴け」村上春樹

昨日「スティル・ライフ」を読んで、そういえばその前にこの本があったと思い、読み返す。10年ぶりに読んで思うことは、この本の賞味期限は大学卒業くらいまでということで、それ以降もここに居続ける、というのは、違うと思う。「ここ」というのは、「ロールシャッハテスト」や「グレン・グールド」などを「話題に上らせる」ことの格好良さ(というものが、もしあればだが)に満足し、そこから先には踏み入れない段階の精神である。これは「スティル・ライフ」の「チェレンコフ光」と、レジスター的には似ている。踏み入れないことで、あらゆる人の経験に投影出来るという一般性を保っている、という可能性もあるけれど、そうではない気配の方が強い。

とはいえ読み終わると、こういう作品を目新しく感じていた当時の感覚を思い出すのとは別の次元で、ある種の物憂さに彩られた夏を、プルトニウムのガラス加工のように保存している作品なのだと感慨深い。技法的にも、6節のラストと9節のラストのつなげ方などは、今でもやはり唸らざるを得ない。