代入(2)

たとえば
1+1=2
として、この1に3を代入して、
3+3=2
とはできないのに、
x+x=2x
として、このxに3を代入して、
3+3=2*3
とはできる。この差は何なのか、と聞かれれば、ほとんどの人は「1は定数だけどxは変数だから」と答えると思うんですが、ax~2+bx+c=0の解を解の公式で計算するときに、a,b,cに値を代入したりしますよね。このときa,b,cは定数ではないのか。「いやそのときはa,b,cを変数と見なすのだ」というならば、1+1=2の1を「変数と見なす」ことはなぜできないのか。

ここで言いたいのは、高校数学が間違っているとか、高校数学では量化の概念がない、とかではなくて、高校までの数学というのは心底直感的に納得できる体系にはなっていないということです。実は高校数学の裏にある論理は、論理というよりクーンのいう「パラダイム」であり、多くの範例から帰納的に学習しているに過ぎず、一般に思われているような、最小限の規則から演繹的に導かれる系にはなっていない、ということです。そうすると、器用に、理解したつもりになれる人がいい成績を取っていて、反対に「なんか変だ」と思う人、腑に落ちないものを感じる人が落ちこぼれる場合があるのではないかということです。勿論、高校の頃から本質的に理解していてなおいい成績を取る学生や、本当に分かっていない学生もいるとして。

では本質的に理解するとはどういうことなのかと考えると、記号論理学/数学基礎論を学んだ後に、果たして高校数学を公理化できるのか、ということになるのですが、これは結構難しくて、ヒルベルトらの苦労が偲ばれます。更にもう一歩踏み込んで、公理化すれば理解したことになるのか、と問われれば、命題と推論系の構造を(その意味するところとは独立な形で)議論しなければならず、これは結局脳と言語の問題に帰着すると思うのです。