分かりやすさ(3)

合気道植芝盛平と柔道の嘉納治五郎の比較で、「植芝盛平の方が達人ではあるが、植芝は上達論を残せなかったのに対し、嘉納治五郎は誰でも強くなれる練習体系を考案したので、偉大なのは嘉納の方だ」という意見を見たことがあります。今日の柔道界の錚々たる面々を見ると、嘉納方式に軍配が上がるのかなという気もします。

しかし、(生徒にとっての)興味の持ち方と、先生が上達論を持っているかどうか、というのはまた別のことかもしれません。そうだとすると、鈴木浩子説と日野先生説は、2×2=4通りのケースのうち、対角線上に位置する二つであって、その中間のケースもまた二つあることになります。

暫定的な結論としては、「分野には上達論が確立していることが望ましい。しかし生徒はその有無(分かりやすさ)とは関係なく、興味を持つようでなければならない」ということでしょうか。なんか安直な気もするので、引き続き考えます。