電車男について(ターザンカフェより)

以下の部分は、電車男という作品の批評ではなく、電車男というエピソードが生まれて、作品化されて、それが受けているという社会的状況の背後には何があるのか、という視点になっているのが面白いです。

映画を見ての話だがあの電車男を見ていると、すべての人のアドバイスはみんなエルメスをものにしろという考え、発想なのだ。
(中略)
恋愛とは相手を「ものにする」「ものにしろ」というのではないのだ。恋愛とは「恋愛する」ことなのだ。

もうここが根本的に違うのだ。決定的に違うのだ。恋愛は恋愛を〝する〟ことに最大の価値があるのだ。本当のことをいうと彼らもそのことは理解しているのだ。

でもその恋愛を〝する〟というその〝する〟をどうしていいのかわからないのだ。そうなると結果的に〝ものにする〟にいってしまうのだ。

恋愛をしたい願望。要はそれなのだ。しかしそれには自分が魅力的な存在でないと何も始まらないのだ。

〝ないものねだり〟はだめなのだ。恋愛のないものねだり症候群。電車男を見てボクはそう思った。