私の國語教室:福田恆存



福田恆存さんはシェイクスピアの翻訳で有名。以前いろいろな訳を比べた際に「福田さんしかない!」と思ったものです。以下は新潮文庫版の「ハムレット」より。

ハムレット 死骸というものは、腐るまでどのくらいかかるものだな?
第一の道化 (中略)まあ、ふつう八、九年というところかな。革屋なら九年は大丈夫でさあ。
ハムレット どうして革屋はもつのだ?
第一の道化 そこは商売、やつらの皮は十分なめしてあるんで、水をはじくんでさ。

とか訳されると福田ファンにならざるを得ないわけですが、その福田さんが「私が書くほかのものを讀まなくてもいいから、これだけは讀んでいただきたい」とまで書いていると聞いて*1、早速購入しました。

詳しくは全部読んでからにしようと思いますが(まだ第一章しか読んでいないのです)、主張は「歴史的仮名遣い」を「現代仮名遣い」に改めるべきではない、というものです。

「現代仮名遣い」が如何に「歴史的仮名遣い」の美しい法則を破壊し、例外だらけの矛盾した仮名遣いであるか、という点は説得力のあるものですが、現に「現代仮名遣い」の元で国語教育を受けてきてしまった世代からすると、複雑な思いがあります。

今の段階で一つ言えるのは、子供のうちは勉強すれば何でも覚えるものであって、旧仮名旧漢字であろうと造作ないだろうということです。昭和21年の改訂さえなければ、今古典文学を読むのにこれほど苦労しなくて良かったと思うと、これはとてつもない文化的断裂であり損失だと思われます。

また、「解説」の中で市川浩氏(ソフト「契沖」の作者)がワープロの発達が予測できていれば、改訂は必要なかったということを述べていますが、一歩進んで今日の自然言語処理の立場から云えば、スタート地点としては我々は二つの異質なコーパスを抱えていることになり損失は大きいものの、技術によって少なくともコンピュータの中では旧仮名、新仮名の区別なく相互乗り入れできる可能性は高く、また状況は変わってくるかもしれないとも思います。