「メノン」「プロタゴラス」「ゴルギアス」他:プラトン著


メノン
プロタゴラス
ゴルギアス

「メノン」「プロタゴラス」「ゴルギアス」「饗宴」「パイドン」の五冊を購入。「テアイテトス」と「パイドロス」は既に持っているので、あとは「ソクラテスの弁明」「法律」「国家」上下巻を買えば岩波文庫プラトンについてはコンプリートの予定。

読む順番は、おそらく「プロタゴラス」→「ゴルギアス」→「メノン」→「饗宴」→「パイドロス」→「テアイテトス」→「ソクラテスの弁明」→「パイドン」→「国家」→「法律」なんだと思うのですが、もし違っていたらご指摘ください。

プラトンを読み始めた一つ目の動機は、どうも哲学書というのは、同時代の科学史を参照しつつ歴史順に読んでいかないと、著者と問題意識が共有できないのではないか、ということなのです。たとえばプラトンの時代には、ピタゴラスは既に過去の人になっているけれど、ユークリッドことエウクレイデスは多分まだ生まれていないわけで、必然的に、プラトンが「算術」と言ったときにはそういう背景を念頭に置かなければいけないわけです。

そして聖トマスを理解するためにはアウグスティヌスやエリウゲナを読んでいなければならず、彼らを理解するためにはアリストテレスプラトンを読んでいなければいけないだろう、と思うのです。そもそもプラトンを読んでいない状態で「新プラトン主義」とか言われても何がどう「新」なんだか分からなかったのです。

二つ目の動機は、http://d.hatena.ne.jp/bonebluesbannd/20050706 で議論していて、プラトンが本当に「道徳は教育では教えることができない」と考えていたか疑問に思ったからです。この件については、「メノン」と「プロタゴラス」では別の結論になっていたりするので、一通り読み通した後にコメントしたいと思います。